●ティージー株式会社物語 vol.3● 街のガラス屋さんとして戦後復興の担い手に

1945年8月6日に広島へ、同年8月9日には長崎に原爆が落とされ、長かった戦争の日々が終わった1945年8月15日。終戦から今年で74周年となります。
 
ティージー株式会社の前身となる高橋硝子店が創業したのは、終戦直後。まさに、ティージー株式会社は日本の戦後の発展と歩調を合わせるように、地域の皆様に支えられ成長してきた会社です。
 
令和元年となる今年。改めてティージー株式会社の歴史を振り返り、次世代へとつなげる“何か”を見つけたいと始めた「ティージー株式会社物語」も今回で3回目。いよいよ、最終回となります。
 
これまでの【ティージー株式会社物語】はこちら
→ vol.1 https://www.tg-ltd.co.jp/blog/tg/20190625.html
→ vol.2 https://www.tg-ltd.co.jp/blog/tg/20190730.html
 
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=vol.3 戦後復興とともに歩んだ昭和の時代=
 
ティージー株式会社の創業者、高橋貢(以下、貢)が豊橋で高橋硝子店を開業し、初めて任された仕事は戦火で焼け残った学校の補修の仕事でした。
当時の硝子組合長であり、貢を硝子組合に加入させてくれたのが戸田さんという人物でした。戸田さんは、戦前貢が卸問屋で働いていた頃、板硝子のお得意さんだったという方だったと貢はその手記に残しています。
 
ガラスの取り扱いができるようになる前は、豊橋の闇市に小魚の乾物を売って生計を立てていた貢も、戦後復興とともに徐々に硝子の仕事が増え、高橋硝子店は順調に発展していきます。
 
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昭和25年頃には、硝子だけ出なく金物の販売も取り扱うようになり、最初の従業員も迎えます。
貢は手記『私の履歴書』に当時のことをこう記しています。
 
「日本の経済が成長するにつれて板ガラスの需要も増えてきて、私たちの業界もだんだんと成長し発展してきました。わたしも、近所で空き地があれば少しでも獲得して次に備えていた私の人生、四十代から五十代が一番充実していたと思う。」
 
平和の時代が訪れ、日本全体が前へ前へと進んでいた戦後が、戦争の日々に青年期を過ごした貢にとって遅れてきた青春の日々だったのかもしれません。
その後、昭和40年代のアルミサッシの登場を機に、硝子だけ出なくアルミサッシも取り扱うようになった高橋硝子店。今では地域の皆様に支えられ、街のガラス屋さんの枠に捉われず、様々な事業をさせていただくようになりました。
 
時代の変化を敏感に感じ、仲間や周囲の人たちを大切にしながら常に全力で仕事に取り組んできた貢の精神は、今のティージー株式会社にも脈々と受け継がれてきています。
令和時代も、ティージー株式会社は地域を支える企業として、頑張ってまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
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