●ティージー株式会社物語 vol.2●ティージー創業の日 1945年12月23日 (豊橋市・豊川市)
戦後、街の小さなガラス屋さんとしてスタートしたティージー株式会社。
地域の皆様に支えられて豊橋・豊川エリアで仕事をさせていただいています。今日は、ティージー株式会社の創業話をほんの少しだけご紹介してみたいと思います。
創業者・高橋貢の自伝をもとにお届けする『ティージー株式会社物語』第2回は1945年12月22日〜23日のお話です。
=vol.2 創業の日(1945年12月23日)=
ティージー株式会社の前身となる高橋硝子店の創業者・高橋貢(以下、貢)は、1945年軍人として、鳥取で終戦の日を迎えました。
その後、家族が待つ故郷・渥美郡野田村(元・田原市)へと電車で向かった貢は、当時を振り返って、こんな言葉を記しています。
「(鳥取から故郷へと帰る)途中豊橋の駅におりたとき、焼け野原の豊橋の姿を見て涙が出た。〜中略〜私たち家族はゼロからの出発だ。意を決して、10年前に働いた豊橋(*)へ出て社会人として再出発しようと覚悟した。」
(*)兵役に出る前、貢は板硝子などを扱う、豊橋の卸問屋で働いていました。
豊橋で、戦後の新しい生活を始めようと決心した創業者の貢。
昔の知人はいないかと豊橋を歩いていたところ、偶然にも豊橋で働いていた際に、板硝子を買ってくださっていたお得意さんに出会い「できるだけの援助はする」という温かい言葉をいただきます。
さらに、10坪ほどのバラックを譲ってくれるという方も現れます。
こうしたご縁のおかげで、豊橋でなんとかやっていけそうと思った先々代の貢は、妻と子と一緒に、牛車に引越し荷物を積み込み、12月22日に豊橋へと向かいます。
「昭和21年12月22日。家族の荷物を積んだ牛車で真夜中の月明かりを頼りに出発した。〜中略〜荒れた砂利道、荷物を積んでの牛車、牛もなかなか歩かない。植田の坂道まで来たがどうしても牛が歩かなくなり困った。仕方がない。私も荷物用のロープを牛車に取り付け、ロープを肩にかけ、牛と一緒に牛車を引いた。〜早朝には東八町の我が家について嬉しかった。」
第二次世界大戦の終戦後、豊橋の地で再出発をしようと牛車を引いてやってきた創業者・貢。
豊橋の皆様に支えられ、高橋硝子店としての仕事が軌道に乗るまでの話は、また次回♪
ティージー株式会社物語、どうぞお楽しみに!
【ティージー株式会社物語 vol.1】はこちら
→ https://www.tg-ltd.co.jp/blog/tg/20190625.html
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