ティージーについて

【経営者メッセージ】2019年、ありがとうございました ティージー(豊橋市・豊川市)

2019年12月26日|カテゴリー「ティージーについて

=代表・高橋から年末のご挨拶=

今年も残すところあと5日。
元号が平成から令和に変わり、お祝いムードが日本全国に満ちたと同時に、今年も大きな災害が各地を襲い、各地で甚大な被害が発生しました。
そして消費税の増税により、キャッシュレス決済の増加など新しい時代の変化が私たちの暮らしを大きく変える、そんな感覚を抱いた方も多かったのではないでしょうか?

ティージー株式会社も、お客様、地域の皆様のご愛顧と応援、そして従業員1人1人の頑張りのおかげで、無事に1年を終えようとしています。

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2019年を振り返ってみると、ティージー株式会社にも新たに3名の新卒社員が仲間に加わり、若いパワーが会社を前進させる大きな力となりました。
また若手だけでなく、長年ティージー株式会社を支えてきたベテラン社員1名が定年を迎えましたが、嘱託従業員として継続して仕事をしてくれることになりました。
これで60歳以上が4名となり、ベテランと若手がベストミックスしている良い状態だといえるでしょう。

そして、今年は非常に残念で悲しいことがありました。
社員1人が仕事中に急きょ亡くなるという不測の事態がおこり、今までの「当たり前」に対し、基準の見直しや新しいルールの作成を徹底的に行いました。私自身このことを生涯忘れることなく、次世代にも伝えていくこと、同じこと決して繰り返さずにさらなる前進をすることを改めて心に誓いました。


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2019年は、MADOショップ(ドア窓リフォーム専科)や太陽光発電蓄電池悠Uサンルーム、断熱リフォーム、街の屋根屋さん(屋根リフォーム)の各担当者がコツコツとブログを更新。
暮らしに役立つ情報をプロ目線で発信してきました。まだ見たことがないという方は是非一度ご覧になってください。

2020年はこうした発信を強化することに加えて、お客様や地域の皆様が気軽にティージー株式会社とやりとりできる場作りに取り組んでいきたいと思っています。

そして今まで以上に、ティージーの従業員1人1人が活躍し、それがポジティブなエネルギーとなってお客様・地域に貢献できるような会社にしていきたいと考えています。

さらに!新事業も2020年はスタート予定。
これからも、社員1人1人がイキイキと活躍でき、地域密着だからこそできる仕事を続けてまいります。

最後になりましたが、2019年も1年ありがとうございました。
そして、来年もどうぞよろしくお願いいたします。

台風19号の影響にて臨時休業のお知らせ

2019年10月12日|カテゴリー「ティージーについて
台風19号の影響にて悪天候が予想されます
誠に勝手ながら臨時休業させていただきます。
 
12日(土)臨時休業
13日(日)定休日
14日(月)定休日
 
15日(火)から通常営業日になります電話等のお問い合わせは通常営業日からお願いします
非常に危険なので屋根等の点検などで外に出ることのないようにしてください。

●ティージー株式会社物語 vol.3● 街のガラス屋さんとして戦後復興の担い手に (豊橋市・豊川市)

2019年8月15日|カテゴリー「ティージーについて

1945年8月6日に広島へ、同年8月9日には長崎に原爆が落とされ、長かった戦争の日々が終わった1945年8月15日。終戦から今年で74周年となります。

ティージー株式会社の前身となる高橋硝子店が創業したのは、終戦直後。まさに、ティージー株式会社は日本の戦後の発展と歩調を合わせるように、地域の皆様に支えられ成長してきた会社です。

令和元年となる今年。改めてティージー株式会社の歴史を振り返り、次世代へとつなげる“何か”を見つけたいと始めた「ティージー株式会社物語」も今回で3回目。いよいよ、最終回となります。

これまでの【ティージー株式会社物語】はこちら
→ vol.1 https://www.tg-ltd.co.jp/blog/tg/20190625.html
→ vol.2 https://www.tg-ltd.co.jp/blog/tg/20190730.html

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=vol.3 戦後復興とともに歩んだ昭和の時代=

ティージー株式会社の創業者、高橋貢(以下、貢)が豊橋で高橋硝子店を開業し、初めて任された仕事は戦火で焼け残った学校の補修の仕事でした。
当時の硝子組合長であり、貢を硝子組合に加入させてくれたのが戸田さんという人物でした。戸田さんは、戦前貢が卸問屋で働いていた頃、板硝子のお得意さんだったという方だったと貢はその手記に残しています。

ガラスの取り扱いができるようになる前は、豊橋の闇市に小魚の乾物を売って生計を立てていた貢も、戦後復興とともに徐々に硝子の仕事が増え、高橋硝子店は順調に発展していきます。

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昭和25年頃には、硝子だけ出なく金物の販売も取り扱うようになり、最初の従業員も迎えます。
貢は手記『私の履歴書』に当時のことをこう記しています。

「日本の経済が成長するにつれて板ガラスの需要も増えてきて、私たちの業界もだんだんと成長し発展してきました。わたしも、近所で空き地があれば少しでも獲得して次に備えていた私の人生、四十代から五十代が一番充実していたと思う。」

平和の時代が訪れ、日本全体が前へ前へと進んでいた戦後が、戦争の日々に青年期を過ごした貢にとって遅れてきた青春の日々だったのかもしれません。
その後、昭和40年代のアルミサッシの登場を機に、硝子だけ出なくアルミサッシも取り扱うようになった高橋硝子店。今では地域の皆様に支えられ、街のガラス屋さんの枠に捉われず、様々な事業をさせていただくようになりました。

時代の変化を敏感に感じ、仲間や周囲の人たちを大切にしながら常に全力で仕事に取り組んできた貢の精神は、今のティージー株式会社にも脈々と受け継がれてきています。
令和時代も、ティージー株式会社は地域を支える企業として、頑張ってまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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●ティージー株式会社物語 vol.2●ティージー創業の日 1945年12月23日 (豊橋市・豊川市)

2019年7月30日|カテゴリー「ティージーについて

戦後、街の小さなガラス屋さんとしてスタートしたティージー株式会社。
地域の皆様に支えられて豊橋・豊川エリアで仕事をさせていただいています。今日は、ティージー株式会社の創業話をほんの少しだけご紹介してみたいと思います。

創業者・高橋貢の自伝をもとにお届けする『ティージー株式会社物語』第2回は1945年12月22日〜23日のお話です。

 

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=vol.2 創業の日(1945年12月23日)=

 

ティージー株式会社の前身となる高橋硝子店の創業者・高橋貢(以下、貢)は、1945年軍人として、鳥取で終戦の日を迎えました。
その後、家族が待つ故郷・渥美郡野田村(元・田原市)へと電車で向かった貢は、当時を振り返って、こんな言葉を記しています。

 

「(鳥取から故郷へと帰る)途中豊橋の駅におりたとき、焼け野原の豊橋の姿を見て涙が出た。〜中略〜私たち家族はゼロからの出発だ。意を決して、10年前に働いた豊橋(*)へ出て社会人として再出発しようと覚悟した。」

 

(*)兵役に出る前、貢は板硝子などを扱う、豊橋の卸問屋で働いていました。

 

 

豊橋で、戦後の新しい生活を始めようと決心した創業者の貢。

昔の知人はいないかと豊橋を歩いていたところ、偶然にも豊橋で働いていた際に、板硝子を買ってくださっていたお得意さんに出会い「できるだけの援助はする」という温かい言葉をいただきます。
さらに、10坪ほどのバラックを譲ってくれるという方も現れます。

 

こうしたご縁のおかげで、豊橋でなんとかやっていけそうと思った先々代の貢は、妻と子と一緒に、牛車に引越し荷物を積み込み、12月22日に豊橋へと向かいます。

 

「昭和21年12月22日。家族の荷物を積んだ牛車で真夜中の月明かりを頼りに出発した。〜中略〜荒れた砂利道、荷物を積んでの牛車、牛もなかなか歩かない。植田の坂道まで来たがどうしても牛が歩かなくなり困った。仕方がない。私も荷物用のロープを牛車に取り付け、ロープを肩にかけ、牛と一緒に牛車を引いた。〜早朝には東八町の我が家について嬉しかった。」

 

第二次世界大戦の終戦後、豊橋の地で再出発をしようと牛車を引いてやってきた創業者・貢。
豊橋の皆様に支えられ、高橋硝子店としての仕事が軌道に乗るまでの話は、また次回♪

ティージー株式会社物語、どうぞお楽しみに!

【ティージー株式会社物語 vol.1】はこちら
→ https://www.tg-ltd.co.jp/blog/tg/20190625.html

 

 

 

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【MADOショップ便り】~網戸の張り替えはお早めに!~ ティージー(豊橋市・豊川市)

2019年7月4日|カテゴリー「ティージーについて

梅雨が終われば本格的な夏がスタート!
日中の暑さも和らぐ夕方から夜の時間は、窓を開けて過ごすという方も多いのではないでしょうか?
そこで、夏前にやっておきたいのが“網戸の張り替え”です。網戸が破れてしまったり、端に穴が空いてしまっていたりするなら、張り替えのタイミングです。

 

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張り替えたばかりの網戸は、ピンと張りがありますが、長年使っているとどうしてもゆるみが生じてしまうもの。
そのままにしておけば、網がサッシから外れて、隙間ができてしまうこともあります。

 

網戸の張り替え自体は、大きさにもよりますが、一つ30分くらいで完了します。
最近では網目が細かく、通気性と眺望性のよいクリアネット」など網戸素材も進化しています。
せっかく網戸を張り替えするなら、開放感あるお部屋を演出できる網戸に交換するのも良いかもしれませんね(^^)

 

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MADOショップでは、お客様のご自宅に伺い、網戸張り替えを出張対応しています!

 

もうすぐ夏、というこの季節。網戸の張り替えのお問い合わせも多い季節。
ご希望のお日にち・時間によっては、すぐに張り替え対応ができないこともありますので、気になる場合は早めにご相談ください。MADOショップ牛川通店では、持ち込みによる網戸の張り替えもしています。持ち込み希望の方はお気軽にお電話にてお問い合わせください!

 

 

●MADOショップ豊橋牛川通店はこちら
>> https://toyohashi-ushikawadori.madoshop.jp/shop/index/

 

●MADOショップ豊川南通店はこちら
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●ティージー株式会社物語 vol.1●ティージー創業前夜 1914〜1945年 (豊橋市・豊川市)

2019年6月25日|カテゴリー「ティージーについて

今から70年以上前、昭和21年(1946年)に街の小さなガラス屋さんとしてスタートしたティージー株式会社。
この春、社員の1人が勤続50年を迎えました。
地域の方々に支えられ、昭和〜平成そして令和へと3つの時代を生き抜いてきたティージー株式会社の歴史を通じて、令和の時代へとつながる“何か”を探してみたい。そんな思いから、創業者・高橋貢の自伝をもとに『ティージー株式会社物語』を数回に分けてご紹介してみたいと思います。
vol.1 創業前夜(1914年〜1945年)

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ティージー株式会社の前身となる高橋硝子店の創業者・高橋貢(以下、貢)は、大正3年(1914年)、田原市野田町(当時の渥美郡野田村)に生まれました。
4人兄妹の3男として生まれた貢は15歳の頃、豊橋にある金物や板硝子の卸問屋を営む「岩田屋」で働き始めます。
ところが時代は、日本が第二次世界大戦へと戦争への道を歩み始めた時代。
貢も海軍に入隊し、昭和10年には広島県の呉海軍航空隊員に入隊。太平洋戦争では連合艦隊の機動部隊に所属し、たくさんの海戦に参加することとなりました。
広島・長崎に原爆が投下された昭和20年には、貢は鳥取県にある航空隊に所属していたそうですが、終戦とともに地元である愛知に帰郷。
当時の様子をこう残しています。
「豊橋の駅に降りた時、焼け野原の豊橋の姿を見て涙が出た。なんとか故郷にたどり着き、妻子に会え、感激し嬉し涙が出た。」

ティージー株式会社(高橋硝子店)の歴史は、軍人として終戦を迎えた先々代の貢が、地元に帰ったところから始まります。
創業者の時代から働いてくれている職人さんもいるくらい、社員一人ひとりが家族のような存在となっているティージー株式会社。
その歴史を改めて振り返ってみると、私たち自身のルーツも見えてくるような気がします。
ティージー株式会社物語は次回へと続きます。どうぞお楽しみに!

【MADOショップ便り】〜デザイン色々♪ おしゃれな玄関ドアリフォーム〜 ティージー(豊橋市・豊川市)

2019年5月23日|カテゴリー「ティージーについて

ティージー株式会社のMADOショップ豊橋牛川通店、MADOショップ豊川南通店で最近人気なのが、
最短1日玄関ドアをリフォームできるYKKAPの『かんたんドアリモ』です♪

 

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玄関ドアは長年使っていると、鍵の調子が悪くなったり、見た目も古くなってしまったりと、何かと不具合が生じがち。

 

「でも、玄関のリフォームはお金も時間もかかるからなぁ…」とお思いなら、一度『かんたんドアリモ』でリフォームを検討してみてはいかがでしょうか?

 

『かんたんドアリモ』は、玄関ドアや引き戸の枠の上から、新しい枠をかぶせて施工する、カバー工法という新しいリフォーム方法を活用した商品です。
これまで壁を壊して、ドア枠を入れ替えて…とたくさん作業が必要だった玄関リフォームの常識をガラッと変えた商品です。

 

施工時間が短いだけでなく、ドアや開き戸など、デザイン・バリエーションが豊富なので、ご自宅の玄関の雰囲気に合わせてデザインをお選びいただけます。

 

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例えば、ちょっぴりモダンでスタイリッシュなドアにしてみたり…。
人気のカントリー調デザインで、あたたかな雰囲気の玄関を演出してみたり…。
これからの暮らしを考えてドアから引き戸に変えることだってできちゃいます。

 

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玄関まわりのリフォームをご検討中の方は、ぜひ『かんたんドアリモ』をチェックしてみてください(^^)/

 

デザイン選びの参考に、MADOショップ豊橋牛川通店とMADOショップ豊川南通店の公式サイトでは、施工事例を随時更新しています!

 

●MADOショップ豊橋牛川通店の施工事例はこちら
>> toyohashi-ushikawadori.madoshop.jp/shop/jirei/

 

●MADOショップ豊川南通店の施工事例はこちら
>> toyokawa-minamiodori.madoshop.jp/shop/index/

 

“街のガラス屋“さんとして…。震災への備えを常に心に! ティージー(豊橋市・豊川市)

2019年5月7日|カテゴリー「ティージーについて

引退会見で、選手生活を振り返り貫けたことは何かを聞く質問に「野球のことを愛したこと」と答えたイチロー選手。
イチロー選手と並べて考えるのは恐れ多いことではありますが…ティージー株式会社も、創業から70年の歴史の中で貫き続けてきたことがあります。
それは、「街のガラス屋さんとしてのルーツ・信念を忘れないこと」。

 

今日は、ちょっぴり真面目に、ティージー株式会社が大切にしてきた「街のガラス屋さんとしてのルーツ・信念」についてお話ししてみようと思います。

 

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ティージー株式会社の前身となる、高橋ガラス店が東三河で創業したのは72年前のこと。
当時はガラスを扱える職人というのは、技術力が高く、地域でも貴重な存在でした。

 

だからこそ、というわけではありませんが、ティージー株式会社では部署に関係なく、社員一人ひとりがガラスを取り扱う技術・知識を身につけることを大切にしています。

 

というのも時代は移り変わり、窓枠に使われる素材もアルミから樹脂へと変わってきた中で、変わらず使われているのはガラスです。もしも地震や竜巻などの災害が起こったとき、窓ガラスが割れてしまえば、地域に暮らす皆様の大切な生活環境が失われてしまいます。

 

現に、25年ほど前には、豊橋市に竜巻が発生し、学校や周辺一帯の建物のガラスがことごとく割れてしまったことがありました。ティージー株式会社では、この竜巻の際にも社員を総動員し、子供たちが毎日通う学校のガラスの交換を行いました。

 

災害はいつ起こるかわかりません。
だからこそ、街のガラス屋さんとして、地域の皆様に支えられてきた私たちができるのは、いざという時にガラス職人としての技術を失わずに継承していくこと。

 

ティージー株式会社では、実務経験が10年以上ないと取れないガラス施工技能士1級の資格を持っている社員が多く在籍しています。

 

会社の利益には必ずしも結びつかないことかもしれませんが、街のガラス屋さんとしての矜持を持ち、これからも皆様の暮らしを支える企業であり続けたいと思っています。

 

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●MADOショップ豊橋牛川通店はこちら
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●MADOショップ豊川南通店はこちら
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ティージー株式会社の“新卒採用”最前線〜選考で大切にしていること〜 (豊橋市・豊川市)

2019年4月18日|カテゴリー「ティージーについて

 

来春2020年入社に向けた新卒採用活動が、各企業で始まっています。

 

街のガラス屋さんとして創業し、70年以上この土地で仕事をしてきたティージー株式会社でも、毎年新卒採用を実施しています。そこで、今日はちょっぴり真面目に、ティージー株式会社が新卒採用、そして社員に対して考えていることをお話ししてみようと思います。

 

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私たちが仕事をする上で大切にしているのは「全てのお客様の満足と、従業員の幸せを追求し、地域から愛され必要とされる企業として発展し続ける」こと。

 

31人の正社員が活躍するなかで、20代の若手社員は13人。幅広い年代の社員が、それぞれのフィールドで活躍し、輝き続けられる環境が整っています。

 

いつも説明会や選考に来る学生さんにお話ししているのは、「地元をこよなく愛し、これからも地元でずっと働き続けたい」と考える方と一緒に働きたいという想い。
もちろん、県外出身でもこの土地で暮らし続けたいと考えている方なら大歓迎です!

 

また、一緒に働く社員は、ティージー株式会社という一つの大きな家族の一員。だからこそ、かけがえのない家族が、一番輝ける仕事を作るのも、会社としての使命だと思っています。

 

現在、ティージー株式会社ではMADOショップ事業・太陽光発電事業・悠Uサンルーム事業・断熱リフォーム事業・建材事業と、たくさんの事業に取り組んでいます、また、これからも、若いメンバーの声を聞きながら、社会が、そして大切な社員一人ひとりが輝ける仕事を作っていくつもりです。

 

もしかしたら「パンを焼くのが上手で、一番パンを焼くことで輝ける」そんなメンバーが加わったら、パン屋さんをやってもいいじゃないか。半分冗談、半分本気でそう考えているティージー株式会社。

 

少しでも、「興味があるなぁ」、という方はお気軽に会社説明会にお越しください!皆様とお会いできること、楽しみにしています。

 

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\ティージー株式会社の家族になりませんか♪/

▶︎▶︎ ティージー株式会社の採用情報はこちら!

https://www.tg-ltd.co.jp/recruit

 

\ティージー株式会社で活躍する先輩社員の声はこちら♪/

▶︎▶︎ https://www.tg-ltd.co.jp/blog/introduction

 

【MADOショップ便り】〜内窓で騒音対策や防音対策もバッチリ ティージー(豊橋市)

2019年4月2日|カテゴリー「ティージーについて

雨風をしのいだり、熱を遮断したり…窓が持つ役割はたくさん。
そんな窓の大切な性能の一つとして、意外と見落としがちなのが防音性能です。
例えば幹線道路など交通量が多い場所に建つ家の場合。窓を内窓に変えるだけで、車の騒音がグンと軽減されます。

 

内窓とは、今ある窓の内側に取り付ける窓のこと。窓が二重になることで、家の気密性が高まり、外からの騒音が入りにくくなるのです。どんな内窓を使ったとしても、ある程度防音性は高まりますが、防音対策として内窓を検討されるなら、防音性能がより高いタイプの窓を選ぶのがオススメ!

 

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例えば、ティージー株式会社で最近お取り扱いを始めた内窓「PLAST(プラスト)」は、防音材メーカーが開発した画期的な内窓!
他の内窓と比べても、格段に気密性が高い構造や素材が使われ、断熱性能はもちろんのこと、防音性能の高さがとにかくすごいと窓業界でも評判になっています。

 

もちろんサッシにはアルミではなく樹脂素材を使っていることから、断熱性能もバッチリ。
冷暖房の効率も、内窓プラストを使うことで格段にアップします。
長年窓サッシを取り扱ってきた私たちも、内窓「PLAST(プラスト)」の性能の高さにはちょっとびっくりしています!

 

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なぜ内窓「PLAST(プラスト)」が高い防音性・断熱性を誇っているのかをご説明すると、朝までかかってしまいそうなので、今日はここまで(^^)
内窓「PLAST(プラスト)」についてもっと話を聞いてみたい!という方は、MADOショップ豊橋牛川通店までお気軽にお問い合わせください。

 

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MADOショップ豊橋牛川通店では4月13日(土)、14日(日)イベントを開催
今回ご紹介した内窓「PLAST(プラスト)」も展示・販売しています。是非ご家族で、上質な暮らしを作る内窓をご覧いただけます♪是非お気軽に足をお運びください!

 

MADOショップ 春の新生活応援フェア♪
日程:2019年4月13日(土)14日(日)
時間:9:30-17:00
場所:MADOショップ豊橋牛川通店(豊橋市牛川通3丁目13-3)

 

●MADOショップ豊橋牛川通店はこちら
>> https://toyohashi-ushikawadori.madoshop.jp/shop/index/